昭和44年9月12日 夜
お芝居に、(咳払い)天神記というのがありますね。「菅原伝授手習鏡」と、松雄丸が出るお芝居です。梅雄丸、松雄丸、桜丸という、三つ子の三人兄弟のお芝居なんです。それが、一人ひとりが、主人が違う。そこから、問題が起きてくるわけなんですね。ううん(咳払い)。
その、有名なお芝居の台詞の中に、松雄丸が言う言葉にね、「松はつれないつれないと、世情の人の言の葉に」というところがあります。ね。「松雄丸はほんとに恩知らずだと、または、情がない、冷たいと、世間の者は言うけれども」、とこう言うわけなんです。ね。
けれどもその、例えばそのお芝居の中にも現れてくるように、本当言うたら、その、やはり、自分の、元の、言わば主人であるところの、いわゆる天神様、ね、菅原道真公の、御為にと、一生懸命、自分の子供を犠牲にしてまでも、そのお家の事を思うておる忠義な者ですけれども、それが分かりません。敵方についておるようにしておるもんですから、世情の人は、冷たい冷たいと自分のことを言うけれども、と、言う、その名せりがあるんです。
今晩のただ今の御祈念に、そこのところの場面を頂くんですよ。今日は、12日の美登里会でしたが、美登里会でもたまたまその話が出ましてね。親先生が冷たい、という、その、ことから、まあ、とにかく大きな問題難儀な問題の時ほど、親先生が、もうほんとに知らん顔しておられる。冷たい。けども、そういう時におかげを受けるという話が出ておりました。
今日、ちょうど私が、お昼、11時ごろでした。ここへ奉仕させてもらっておる時に、北野の中村さん達が、親子で参って来て、今、恵美子さんが福島の方におりますから、その前の日から、あちらへ行ってるんです。
この頃その、ちょっと、ある事情で、病院にまいりましてね、体の方がどうも、思わしくないので、病院に行ったんです。そしたら、ガンの一歩手前だと。今の内に手術しなければ、というのでその、おお、お医者さんに言われたもんですから、まあ、お願いに来たわけです。
だから、お医者さんがそう言われるけれども、手術をしたくないから、どうぞ手術せんでおかげ頂きますように、というお願いに対して、あたくしが、もう、ちょうど、おおお、こたつの間です、茶の間でしたから、茶の間で、あたくしが、ほんとにひどいと思いましたけれども、非常に厳しくやかましく言うたんです。
あたし、そげなお取次ぎはせん。ね。お医者にかかったんなら、お医者にかかって手術をすることが信心なんだ。お医者さんの言われるとおりにすることが、日頃の信心を生かすことなんだ。手術をしてから、あたしがお願いをするから、手術はしてもらいなさい。おかげを頂きなさい。と。だからとうとう泣き出してしもうた。ね。
けれども、ね、けれども、たとえば、神様にお願いをさせて頂いて、そして、親先生のお取次ぎを頂いて、生きるも死ぬるも、親先生にお任せすると、言うんならまた別よ、と。もういっぺん考え直してから、また出ておいで。しばらく、しておりましたがです、もうとにかく、いわゆるままよという心になって、医者の手術を受けませんから、どうぞおかげ頂きますように、という、その、お願いをして帰りました。
で、そのことが、その明くる日の御理解に、出てきたんです。そりゃ、匿名で、○○さんが、と言って話しましたけれども、中村さんが、そのことを聞いたんです。初美さんから、朝、娘が、北野の方から、朝、参って来ますから。「どうも恵美子らしいですよ」と、「いよいよ迷ったらしい」と。そして、「こういうように、医者からガンの一歩手前と言われて、手術しなければけんと言われた」と言うて、その、まあ、話したもんですから、中村さん、あくる日から、「あたくしが、朝参りをさせて頂きますから」と言うて、朝参りをして来る。
そして、その前の日、あの、朝、お届けをしてから、恵美子がどうも、その毎日お参りをしようと思うけども、お参りが出来ませんから、元気づけがいかにゃいかんから、ひとつ、今日、あしたの、あした、朝からやらせて頂きますから、と言うて、福島の方へ行っとって、で、今日、親子連れで、また参って来てるわけなんです。
ね。そして、その、恵美子さんに、ここで、こういう今日は、ちょうど、お、お広前が閑散としてましたから、二人、今日は、ゆっくり親先生の御理解頂いて帰ろと言うて、ここで、親子二人で、ああ、あたしの話を聴いた後にです。ねえ。自分の娘の恵美子さんに言うことです。中村のおばあちゃんが。
「恵美子さんて、もうね、二十年くらい前じゃったじゃろうか、ち。椛目でね、奥様がもう、それこそ、たいへんな難儀な眼病になられたことがあった。もうほんとにもう、毎日毎日があの目が破裂しはせんじゃろうか、というほどに、奥様も苦しんでおられた、て。あたしゃ、そのことを聞いてからね、ある日、その、2階に上がらせて頂いたら、目を冷やしよんなさった、と。ね。ほいで、その、眼病には、ええ、にわとりの肝がよかっち思うて、その、にわとり肝をたくさん持って、お見舞いかたがた2階に上がらせて頂いた頃、たまたま親先生が二階さへ上がって来てから、ね、もうとにかく、撫でようともさすろうとも、医者にかかれとも、目薬をさせとも、言わん。
ほんとに、お父さんは冷たいと、それこそ、松はつれないつれないと、ご信者さん方もみんな思うたと、こう、その。たら、たまたまそん時、親先生がそこに上がって見えて、五十枝、お前がよし盲になったちゃ、お前を捨てはせんから」ち、言いなさったっち。
(笑い)そんなこと思い出してからです、ほんとそげなことがあったと思ってね、あたくし。「お前が、よし、眼病で目がつぶれたところで、わたしはお前を捨てるようなことはせん、て。親先生が言われたが、ね、ほんとに親先生ちゃ、なんて冷たい人じゃろうか、とあたしも思うたが、それから(?)もの、奇跡的なおかげを受けられた」と。
「あんたもそこんところの、親先生から怒られた、ち」、ちょっとしただけなんですよ。「だからね、親先生が怒んなさる時には、もう必ずなにか深い御神意があることじゃから、いくら親先生が冷たい冷たいと、あんたは思とろばってん、あんたの、ほんとにおかげを頂かせて頂くために、親先生がああ言よんなさるとよ」と言うて、ここで親子で話すんですよ。
ほんに、あんなことがあったなあと思って、その、思い出させて頂いて、だから、今日の美登里会でも、その、あたしが冷たいという話が。けれども、冷たい時こそが、おかげを受ける時だ、と、ま、さすがに美登里会の方達ですから、その、その、冷たくされた時のことを体験による発表があっておりました。ねえ。
ほんとに、松雄丸じゃないけれどもです、ね、もう、ほんとに兄弟達のために、自分の家のためにもじゃけれども、第一、主人のために、敵方についてこそおれ、自分の子供を犠牲にしてでも、しゅ、主家を助けようという、腹があって、自分は敵方についておる。ね。そこで、自分の、おお、子供を、主人の、いわゆる、かんしゅうさい、ね、かんしゅうさいの身代わりに立てるという、お芝居の、そこんところを今日、今、頂きましてね。
確かに、信心にはそういうところがある。だいたいあたしは商人で、ま、どっちかちゅうなら、情の深い方です。いわゆる深情けの方です。けれども、こと信心、こと、この人がおかげ受けなければならん、という時には、自分ながら、どうしてこんなに、冷とうしておれるやろうか、というように、おかげを頂いとります。ね。
ですから、親先生が、冷たい、冷淡だと、思う時、思うような時こそがです、実を言うたら、お徳を受ける時であり、おかげを受ける時じゃないでしょうかね。どうぞ。 (翠)